誰かのせいは自分のせい

どうもどうも 

ザ・ライフコーチャー・えるびすこと 

みうらまさるです。




他人のせいにすることは

その向こうの誰かのせいに

すること。


人は一人で生きていないから

必ず誰かの影響を受けている。


朝の雑踏を見ていても分かる。

目の前の人だけ見ていたら

なんでこいつは

こんな歩き方をするんだ

邪魔臭いな!

と思うかもしれないが


その人の先を見ると

同じような動きの人がいて

結局自分の目の前の人も

その人に翻弄されているのだ。


そして

その先の人も

もっと先にいる人も

結局

そのもっともっと先にいる人の

動きに影響されているに

過ぎないのだ。


だから

自分の目の前の人に

気分を害してしまったとしても

それは目の前の人が

問題なだけではなく

そのずっと前から

連鎖が続いているのだ。


目の前の上司が

分け分からんこと言っている

理不尽なことを言っている。

その上司ですら

その上の上司から

影響を受けているかもしれないし

またその上の人間から

何か言われているのかもしれない。


いやいや

もしかしたら

家で奥さんに何か言われたかもしれないし

通勤中に何か嫌なことがあったかもしれない。

その先で嫌なことがあった人から

何か影響を受けたのかもしれない。


もしかして

もしかして

その遠いどこかの影響の大元が

あなただったとしたら

どうだろう?


あなたがどこかで

取った行動が

影響を与えているとしたら

どう思うだろう。


あなたのその

憂鬱な気分が

巡り巡って

あなたのもとに戻ってきた

その可能性は

果たしてゼロと言えるだろうか?


あなたが出したエネルギーが

そのままあなたに帰ってくるのは

この世の法則。


他人のせいにすることは

巡り巡って

自分のせいなのだ。

他人のせいにして生きるということは

他人軸ということであり

目の前の他人に

ともすれば

その先の全く知らない他人に

翻弄されて生きることに

同意しているということなのだ。

それを受け入れてしまっているのは

他でもなく自分だ。


自分軸でいるということは

決してワガママでいる

ということではなく

自分の生き方に責任を

持つということだ。

自分の出したエネルギーの

全ての跳ね返りを

自分自身で受け止める

覚悟があるということだ。


さあ

他人軸と自分軸

どちらが

あなたらしい人生の実現に

つながるだろうか?



ちなみに

雑踏の中で歩くコツは

自分の前の二人先くらいを

見るとはなしに見て歩く。

焦点を合わせずに

ぼんやり全体を見る感じで

歩くこと。

決してぼんやり歩くことではない。

視野をゆるめて歩くのだ。


目の前に焦点を合わせると

そこだけが問題の対象となり

全体が見えなくなるが

目の前だけに焦点を合わせず

自分の前二人ほど前に

氣持ちを遣りながら歩くと

目の前の人の行動動機が読めて

とても歩きやすくなる。

もっと広げることが出来れば

もっと全体の動きが読めて

もっと歩きやすくなる。


もっともこれは

雑踏の中を歩くコツに

留まらず

実は仕事にも人間関係にも

使える。


どうぞお試しを。



ではでは。


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~疲れた心に力と希望を取り戻す専門家 えるびす的エゴとの向き合い方~