僕は今、恐怖と闘っている。
日々の暮らしにそれが反映し、
耐え難い時間を作り出す。
ただその恐怖は自分が甘んじて受け入れている…とも取れなくもない。
自分が囚われているのは
・常に誰かに見張られている
・自分の決断は誰かに否定される
・自分の決断は誰かを不幸にする
大きくこの3つだ。
でも現実に誰かに見張られている訳もなく、
そりゃ誤りがあれば別だけど、常にダメ出しされてる訳でもなく、
幸せか不幸せかなんてその人が決めることなのだから、なんて上から目線な考えなんだ
と思えば、大したことのないように感じる。
…が、わかっていながらなかなかそれを克服出来ずにいるのだ。
冒頭に僕は「闘っている」と書いた。
この時点で向き合い方が違っているのに気が付いた。
「闘う」とその結果
その相手をねじ伏せて「勝利」を得ない限り、
いつまでも闘い続けることになる。
それよりは
そんな自分を良しとして
「受け入れる」ことの方が近道なのだ。
何故なら、それら3つの囚われは実は僕自身の本能の一部であって、それらも含めて自分だから。
この3つのおかげで救われていたことも、気付かないだけで実はあったのかも知れないのだ。
ならば、受け入れることを選ぶ。
一部を否定することは、
全部を否定することにつながる。
ただその場合、ダメな自分を受け入れることに対する新たな「恐怖」と向き合わなきゃならないんだけど(笑)
年内にこの囚われと向き合って
受け入れて
その上で次のステップを踏み出す。
まだもう少し地ならしが必要なようだ。
焦らず、でも確実に前に進みたい。
May the Force&Ego be with you.
~疲れた心に力と希望を取り戻す専門家 えるびす的エゴとの向き合い方~
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