モノサシの話

どうもどうも。

エルビスさんこと、みうら まさるです。


今朝、僕が住んでいるところでは雪が積もっていました。

「結構積もったね」というとうちの奥さんは

「そんなんでもないよ」と言います。


見た目10㎝も積もれば、深夜の降り方を考えれば結構降ったと

僕は判断したのですが、奥さんは違いました。


「どんな基準でたいしたことないと思うの?」

と聞いてみました。すると、

「雪かきしなくても動けるか動けないか」というのです。


僕としては昨晩の寝る前の雪の降り方や、結果積もった雪の量で

判断しましたが、

奥さんは降ったとしても、普通に歩けるか、車を動かすに不便しない程度か

で判断しました。


要するに判断基準が違うのです。

いわゆる「モノサシ」が違うのです。


人の判断基準や価値観、「モノサシ」は、その人の育った環境や

学んだ環境、それまで身を置いている環境や経験によって培われるものです。

またその人独特の感性によっても変わってきます。


一人ひとりそれぞれに違うものですから

どれが正しくてどれが間違っているものとは言えません。


外国のモノサシは日本国内ではそぐわないかもしれませんが

外国ではそれが当たり前です。

日本国内では当たり前のことも国外に出れば当たり前ではなくなります。


人間関係のトラブルはこの価値観の違い、「モノサシ」を

勝手に他人にあてがい、押し付けることからはじまります。


これが国家対国家ならどうなるか…そう戦争ですよね。

最近はイデオロギーの違いで衝突してますね。

(「イデオロギー=政治・道徳・宗教・哲学・芸術などにおける、歴史的、社会的立場に制約された考え方。観念形態。」出典 デジタル大辞泉)


それまで生きてきた中でそれしか知らなかったのですから、違う価値感に触れると

確かにカルチャーショックを受けます。

それに対して反応的につい言ってしまいます。


「いやいや、違うでしょ」と。

すると、それまでそれが正しいと思っていた人はその発言に対して

反応的につい言ってしまいます。


「いやいや、違わないし」


あとはご想像の通りの展開。


でも、それじゃ平行線のままですよね。


その相手とこれから先も良好に過ごしていくには

お互いの「モノサシ」を認め合うことです。


お互いの「モノサシ」を認め合うということは、

その人の育った環境や

学んだ環境、それまで身を置いている環境や経験によって培われてきたもの

またその人独特の感性を受け入れることに他なりません。


つまり、その人のすべてを受け入れるということです。


そうしてくれる人が愛されないわけがありません。


だからと言って自分を殺してまで受け入れろということではありません。

ちゃんと自分の考えは伝えた上での話です。


「自分はこういう考えだけど、そういう考え方もあるんだね」と。


自分を大切に扱うことができれば

おのずと他人を大切にすることができるようになります。


自分は自分、他人は他人です。

昔から「親しき仲にも礼儀あり」といいますが

つまりはこういうことなのです。

関係性がが近ければ近いほど気を付けなければなりません。


それでも自分を大事にしてくれない人からは

進んで離れましょう。

無理に一緒にいる必要はありません。


え?我が家の続きですか?

もちろん雪のことで喧嘩なんてしませんよ。


もうそんなに若くもないですしね(笑)



ではでは。


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~疲れた心に力と希望を取り戻す専門家 えるびす的エゴとの向き合い方~