どうもどうも
「ザ・ライフ・コーチャー えるびす」こと、みうらまさるです。
波動の高いもの
愛、笑顔、笑い、ゆるし、ゆるめること
波動の低いもの
妬み、嫉み、いじけ、スネ、執着、恨み
これは僕の勝手な解釈です。
僕の中の答えなので
他のみなさんは違うと思う方も
いると思います。
そしてお氣づきの方もいるかと思いますが
「感情」はこの中に入れませんでした。
というか、なんか違う気がしたもので。
感情は上に書いたものから
引き出されるものではないか?
と僕は考えます。
えー、
突然ですが
僕らは
例えば海の中で生きているとします。
はい、突飛なこと言ってますww
海の中で生活するには
重りをたくさん着けないと
留まることができません。
なんたって海の中が楽しそうで
入りたくて入っていくのですから。
その重りになっているものが
先ほどの波動の低いものたちです。
海の中を楽しむためには
どうしても重りは必要なものです。
海の上で
「これだけ装備すれば大丈夫だろう」
と確認して
海に飛び込むのですが
それと同時に
海に入る前の記憶が
全て無くなります。
それも海の中を楽しむために
必要な要素なのです。
記憶を無くして
海の中を楽しむのですが
時折
その重りが辛くなることが
あるのです。
でも重りのことも
あることは何となく分かっているけれど
自分のどこに着けているかは忘れている。
「この重さが無ければ
もっと自由に動き回ることができるのに!」
と。
「あの魚達のように自由に泳ぎたい」
「本当はもっと楽しいはずなのに」
「どうせ自分は自由に動き回れないんだ」
忘れているとはいえ
自分で着けたのにも関わらず
恨みごとを言ってしまいます。
ある時、海底から水面方向を見上げると
キラキラ輝く水中を
自由に泳ぎ回る人を
見つけます。
「あの人はなぜ自由に泳ぎ回れるのだろう?」
「きっと自分には何か足りないものがあるに違いない」
「自分も身体を鍛えれば泳げるようになれるのかも」
「少し動けるようになったぞ!もっと頑張らないと!」
「あの人にできるんだから、自分にもできるはずだ」
「努力は裏切らない」
だけど
どんなに頑張っても海中の
しかも水面近くを泳いでいる人には
敵わない。
いつまでも海底から
浮かび上がることもできず
辛さが続くことに疲れ果てて
とうとう
すでに自由に泳いでる人に
思い切って聞いてみます。
「どうしたらそんな風に自由に泳げるのですか?
自分はいつまでたってもできないというのに」
「重りに氣づくことだよ」
「重りに?」
「そう、身につけているその重りに」
「・・・」
「重りに氣づくだけで一つ一つ外れていくよ。
そういう風にできているからね」
「氣づくと言っても
そんな簡単なことでは無いでしょ?」
「確かに簡単なことではないけれど
そんなに難しいことではないよ。
有るということに氣づいて、あぁこれがそうなのかと
これが重りなのだと氣づくだけのことなんだ」
重りに氣づくと言ったって・・・
「重り」から解放されるために
必要なもの
それは
「素直さ」です。
そのアドバイスに従って
受け入れて実行する素直さです。
「従う」という言葉に
引っかかりを感じる人がいるかも知れません。
そう感じる人は人生の尺度の一つに
「勝ち負け」を持っている人。
他者に従う=敗北
まずこの「重り」を手放さなければ
次に進めない。
「勝ち負け」なんて
ケーキの上の生クリームやフルーツのような
人生を楽しむためのデコレーションに過ぎないのです。
確かにデコレーションも
美味しいケーキの一部。
だから大切ではあるにはあるけれど
飾り付けにこだわっていては
せっかくの美味しいケーキを
味わうことができません。
ケーキを本当は食べたいのなら
ジタバタしてないで
思い切ってフォークを刺して
しまえば良いのです。
そして口に運ぶ。
ただこれだけなのにね。
「勝ち負け」だけじゃないですよ
あなたが自分を「苦しめている」と
感じているもの全て
実は単なる飾りです。
「自信が無い」
これを理由に前に進めない人もいます。
「過去の自分がこうだったから」
「今の自分はこうだから」
「人に誇れるものなど何も無い」
今の自分が嫌で
このままの自分が嫌だから
そこから抜け出す方法を
人から聞くことができたのに。
実行しないということは
そこから離れたくない
今の自分がなんだかんだ
居心地が良いということ。
だから今の状態以外は
受け入れ難い。
実はそういうことなのです。
本当は嫌で仕方が無いのに。
「自信」なんてね
あるように見えて本当は無いものなんだ。
自信が無いって
自分が信じられないってことだからね。
ってことは自分を「疑っている」ってことでしょ?
ではなぜ「疑っているか」
自分に「嘘」ついてるから。
本当はこうでありたい
こんなことあんなことしたいってこと
たくさんあるのに
その氣持ちに「嘘」ついて
自分をごまかすから
信じられなくなってる。
自分以外の他人の目や社会の常識に
合わせて生きようとするから
自分をごまかしてしまうんだ。
そんな「他人軸」の自分は卒業して
もう自分に嘘つくのやめて
自由にしてあげればいいんだ。
自由な自分を「疑わない」ことが
「自信」なんです。
「重り」となっている
波動の低いものたちから生じる
感情としっかり向き合って
受け止めて、感じ切ってしまえば
その重りがポロポロと落ちていき
もっと自由に生きたいという
意欲がもっと湧いてくる
すると自分に嘘をつく必要が
無くなって
「疑う」必要も無くなってくる。
自分を信じて疑わずにいると
「自分軸」を取り戻す。
そして気がつくと
周りの人達も信頼できるようになるし
自分の未来も信頼できるようになる。
もうその時には
海底をうなだれて歩く
過去の自分ではなく
海中を魚のごとく
自由に泳ぎ回っている
自分になっているのです。
ではでは。
※支離滅裂なタイトルでごめんなさ〜い(笑)
ゆるしのレッスン 11月19日です!
May the Force&Ego be with you.
~疲れた心に力と希望を取り戻す専門家 えるびす的エゴとの向き合い方~
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